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プロローグ 黒沢さんに会いに行く

黒沢さんのことを知ったのは、ある音源を通してだった。

たまたま、群馬県・前橋市の美術館、アーツ前橋で行われたシンポジウムの音源を聞く機会があったのだが、黒沢さんはパネリストとして、そこに参加されていたのである。

最初は、このシンポジウムの内容を、特に個人的関心もなく聞き始めたのだけれど、次第に、自分自身のアート、美術、美術館に対して持っていたイメージというか、固定観念が覆されていくのが感じられた。

 

絵画を観るのが好きで、美術館によく足を運んでいた時期もあったが、いつの間にか、アートも美術も、特に私にとっては、さほど必要とは感じられないものとなってしまっていた。

 

それは、美術館と私の間に、双方向のやりとりとか、コミュニケーションの広がりみたいなものが感じ取れなかったからかもしれない。

 

でも、アーツ前橋でのプロジェクトの話を聞いていて感じたのは、私が思っていたのとは、随分違うぞ、ということだった。私が目を離していたすきに、アートとか、美術とか、美術館というのは、ひょっとして、すごく変化して、面白いことになっているのかもしれない。もしくは、気付けていなかっただけで、もともと、面白いものだったのかもしれない。

 

シンポジウムでは、パネリストとして、さまざまな方が参加されていたが、中でも特に、面白いなあと思える発言をされていたのが、黒沢さんだった。その黒沢さんが語られる、美術館というもののとらえ方が、ものすごく面白かったのである。黒沢さんは、美術館を、まるで生き物のように語る。そして、美術館をいろいろな関係を生み出していく触媒のような場所だとも言われる。

 

そして、いろいろとネット上で、黒沢さんに関する情報を見せていただいていて、そもそも黒沢さん自身が、とても面白い方なのだろうと感じた。私は、学芸員という言葉からは、お役所っぽいような、ちょっと堅いイメージを受けてしまうのだけれども、黒沢さんは、学芸員としては、随分、型破りな履歴やお考えをお持ちのようだ。

 

お会いしてみたいなあと思った。これはすごい偶然なのだけれど、私の住む場所は、現在、黒沢さんがお仕事されている金沢湯涌創作の森から、そう遠くない所にあった。

うまくできるか分からないけれども、インタビューができたら。私は、プロのライターでも、インタビュアーでもない。社会的には何の肩書も持たない人間である。でも、勇気を出して、直接お願いをしに行くことにした。

 

最初に、湯涌創作の森を訪問したとき、残念ながら黒沢さんはいらっしゃらなかったが、事務所の方に、以前自分が作った本と、お手紙とをお渡しして帰宅した。引き受けていただけるかなあと不安な気持ちで帰宅した早々に、インタビューを快諾してくださる旨のメールが届いた。

すごくうれしかったことを覚えている。まだお会いすらしていないわけだけど、ありのままの自分を、何もジャッジされず、すぽんと受け入れてもらえたような気持ちがした。そして、実際インタビューさせていただいて分かったことだけれど、黒沢さんは、そのように人や物事を受け入れ、肯定し、手を差し伸べて相手の可能性を引き出そうとする、そういった姿勢で生きてこられた方だった。だからこそ、学芸員となり、そして今、創作の森という場所で、所長をされているのだと思う。

 

インタビューでは、4時間にもわたってお話を伺った。面白いお話をたくさん聞かせていただいた。黒沢さんは、美術関係については、恥ずかしいほど無知である私の質問に付き合ってくださり、いろいろなことを教えてくださった。

 

長丁場にはなるけれども、ぜひ、アートとか、美術館に興味がない方にも、読んでいただけたらと思っている。自分が、全く関心がなかった分野について、いきなり自分の目で知ろうとすることは難しいけれど、その分野に精通した人の目や感覚を借りて、その世界を味わうことって、自分の世界が大きく広がるチャンスであり、とても楽しいことだと思うから。

 

人は、それぞれが、それぞれにしか持ち得ない視点で世界を感じ、生きている。そのことが、素晴らしい。まさに、そのことを実感することのできた、そんなインタビューだった。

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