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第10回 金沢21世紀美術館は

​どのようにつくられたのか

  金沢21世紀美術館はどのようにしてつくられたのか

 

 当初からあった、二つの目標

 

 「金沢には、大目標というのが、すごくシンプルにあって、街の真ん中辺が、過疎化が始まっちゃったと。要するに、旧市街地であり、昔は本当ににぎわっていた街の中心部というのが、もちろん郊外へ移り住んでしまうドーナツ現象というのも含めて、だんだん街の真ん中に人がいなくなっていくという現象が、起こるじゃないですか。

 日本中の県庁所在地でも、そんなことがありますよね。例えば前橋でも、そんなことが起こっていて、それに対する喫緊な課題として、美術館をつくったりするんですけども、金沢も同じだったんですね。

 金沢市の場合には、あそこの美術館はもともと学校だったんですけれども、幼稚園、小学校、中・高等学校だったんだけれども、その学校が大学付属の学校だったので、大学の移転と一緒に、いなくなっちゃった。そもそも、大学(金沢大学)が街中のお城の所にあったのに、いなくなっちゃった、のみならず、石川県庁がそこにあったのにいなくなっちゃった。

 そうすると、学生とか、県庁で働くような人たち、出入りするような人たちの昼間の人口が、何千人も一気にいなくなるわけです。そうしたら、勢い、街中がやっぱり寂しくなっちゃうじゃないですか。それに対するものすごい危機感というのが、ある人たちにはあったんですよね。市の古き良きにぎわいを知っている人たちの間には、相当な危機感があった。だからそのにぎわいは、どうにか取り戻さなければならない、それともう一つあったのが、新しい文化創造、それも目標の一つだったんです。

 にぎわいの創出ということと、文化創造、それには『新しい』が付くんですよね。藩政期からのいろいろなものを残しているとはいえ、どの時代であっても、革新ということが行われない限り、物事は古くなっていっちゃって、革新するための起爆剤みたいなものが必要なんだっていう考え方ですよね。それを美術館は担いましょうと。

 ということで、にぎわいの創出と、文化の革新=新しい文化創造ということが二つの目標なわけです。それは、さんざん、口を酸っぱくするほど、叩き込まれた、というよりも、自分でも叩き込んだ部分です。要は、私自身は、美術館建築の設計が始まる頃から来ているんですけども、それ以前に、美術館をつくるということを決めたプロセスがあるわけです。美術館、美術館というけれども、つくるとして、なんでそんなものをつくろうとするのかっていうのを、さんざん、有識者の間でも、そうじゃない人たちとのコミュニケーションも含めて、なぜそうなのか、なぜ必要なのかという理由をそのプロセスの中でただしていくんです。

 で、さっきの二つが、その結果出てきた答えだったんです。自分たちに必要なのは、この2本柱だと、そのために美術館をつくるぞ、ということで美術館をつくることが決定していた以上、それはやっぱり信じなきゃいけないですよね。その二つの目標がある。

 

 当初、にぎわいの創出を目標としている以上、とにかく人が入らないっていうことに関しては、どうしても入れろっていう至上命題みたいなものが、暗黙の了解としてあり、なおかつ、美術館なんかつくったって、人が来るわけないじゃん、っていう人たちもいっぱいいたんです。どうにかして、人が来るようにしなきゃいけないっていうのは、やっぱりもう、恐怖心というか、そういう危機感が、準備中からすごくあった。

 でも、建設予定地のすぐ隣りにある兼六園には、そこそこ観光の人たちが来るわけで、隣りにあるんだから、兼六園に来る人がそのまま入ってしまうような、そういう仕掛けができればよいのではないか。人が来るっていうことに関して目標達成すれば、あとは、新しい文化創造という、もう一つの目標をちゃんとやれるでしょと。そこで、人が入るという仕掛けだけは、まずはつくっちゃいましょうよというのが、あの設計だったんですよ。

 そういう意味では、建築設計の特徴の説明として一番決定的でシンプルなのが、ガラス貼りであること。あれ、もしコンクリートで周りの壁があったら同じ円形でも、人が入らないと思うんですよ。なぜガラス貼りだと入るかっていうと、中に入っている人が見えるから。入っている人が、何だ、俺と同じような人間が入っているんじゃないかと。普通の格好して入っているんじゃん。何だ、家族連れじゃん、何だ、サンダル履きじゃん、みたいなのが分かるわけですよね。自分と全然変わらない人たちが、中に入っている、自分も当然入っていい場所になりますよね。それがものすごく大きな効果です。ガラス貼り。そうでないと、コンクリートになった途端に、コンクリートだから近付きがたいというよりも、自分が知らない場所には、なかなか人って行かないですよ。そうそうは。誰かに無理やり誘われると、行くんですけどね。

 でも、そういうきっかけなしに、自然にふらりと入ってみようみたいになるには、ガラス貼りというのは、ものすごく有効だったということと、あとは、とにかく観光名所にしなきゃいけないので、スイミング・プールをつくったりとか、タレルの部屋みたいな、そこでしか見られないものを用意したりとか、コミッション・ワークに力を入れて。行政が美術館つくったりするときというのは、最初はお金かけてくれるんだけど、運営に関しては、どうしても、だんだん、先細りしていくっていうのが日本中の美術館、博物館の姿としてあったことを、よく知っていましたから、とにかく最初にやらないと、後からやりたいといっても無理やと。

 だから、ある程度、最初にお金を使える内に、その後に生きる財産となるものごとを、とにかく最初に準備しなきゃいけないっていう、必死の思いがありましたよね。それさえ用意できれば、本当の21世紀の金沢にあるべき文化創造というのは、それはいろんな人間が、専門的に挑戦していけばいいことなんだから、その受け皿となることさえできれば、いいわけじゃないですか。」

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