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第12回 美術館は世界に対して

何ができるのか

 パレスチナには、紛争地を追われ、ガザ地区や隣国レバノンの難民キャンプに暮らす子どもたちがいる。子どもたちは、必ずしも直接戦争自体は経験していないものの、自由を極度に制限され、抑圧された中で、暮らしている。教育も行き届いているとは言い難く、中には、絵を描くという経験をしたことのない子たちもいるそうだ。そんな子どもたちのために、有志の日本のアーティストの方たちが、『ハートアートプロジェクト』という名で、2001年以来、現地で断続的に、絵や工作などのワークショップを行っている。

 私が初めて取材依頼のためにお邪魔したとき、創作の森では、そのワークショップで子どもたちが描いた絵を展示した『パレスチナのハートアートプロジェクト』と題した作品展が行われていた。私も作品を見せていただいたが、初めて、もしくはめったに持つことのできない絵筆を持った子どもたちの喜び、みずみずしい、とらわれのない感性(抑圧された環境の中にいるにも関わらず!)が感じられたものだった。シンポジウムでも、黒沢さんは、そのパレスチナの子たちについてお話をされていた。

 

 -シンポジウムで、パレスチナの現状に対して、助けられない、助けに行くことはできないけど、知ったことによって、その人自身が変わる、それが大事ということを言われていたのが印象的でした。

 

 「他に答えようがなかったというのもあるんだけど、確かに何もできないですよね、その展覧会を観ても。しかも今でも起こっている、つい最近も空爆があった。それはパレスチナだけじゃなくて、シリアもそうだし、悲しいかな、あの辺、みんなそうなっちゃった。だけど、あの辺みんなっていうだけじゃなくて、そういう悲しいことって、世界中いっぱいあるじゃないですか。何かに対する抑圧・弾圧。

 その弾圧しているほうには、しているほうなりの事情はあるんだけれども、それにしても、人間が、人間に対してこういうことするのかなっていうことって世界中にあって、それ多分、全部を知ったら、頭パンクしちゃうし、自殺するかもしれない、絶望しちゃうくらいになりますよね、きっと。

 しかも全部に同情して、それにレスポンスできるほど、さすがに、財力も体力も時間も誰も持っていない、それくらい、いろんな悲しいことって、いっぱいあるんだけども、少なくともその悲しさというものを、少しでも引き受けたりとか、あるいは知ったりとかすることは大切な経験で、具体的に同じようなことが、自分の身の回りに起きつつあるようなときには、その経験をもとに抵抗できると思うんです。

 確かに、パレスチナは遠いから、すぐに飛んでいけないし、言葉が違うし、人種が違うしとか、行動することに関していろいろ抑制をかける理由は、パレスチナだったらあるけれども、でも自分の隣りにいる人間が、とか、隣りに住んでいる人が、とか、あるいは上司が、とか、部下が、とか、友達が、とか家族が、であれば、話は別だよね。

 そういうときに、自分がどういう行動を取るのかということの根拠を作っていけると思う。そういう、いろんなことを知っていくことが。自分自身の行動の根拠を作るっていうのは、つまり、自分自身の形を作っていくことになると思うんですよ。」

「パレスチナのハートアートプロジェクト」展より

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