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第14回 学芸員になる人、

アーティストになる人

    黒沢さんにとって、アーティストってどんな人?

 

 -黒沢さんが、シンポジウムで、美術館っていうのは、いろんなものがつながっていく、触媒の場だということをおっしゃっていて、まずアーティストありきではなく、その中に、たまたまアーティストが入ることもあるかもしれないけど、ということをおっしゃっていたのが、すごく面白いなと思いました。

 

 「アーティストみたいな人が、入らなくても、世の中そんなこと(いろんなものがつながってゆくようなこと)はいくらでも起こるだろう、とは思います。思うんだけど、やっぱり、アーティストって、四六時中、そんなこと(アートのこと)ばっかり考えているわけですよ。そうすると、四六時中、そんなことばっかりを考えながら、5年、10年が経過した人と、たまにはそういうことも考える人が経過した5年、10年とは、随分、違ってくるんだよね。

 だから、アーティストって、今、目の前にあるものを、ちょっと上と下とひっくり返してみようかとか、白だと思ってたけど、そこを黒にしようよとか、光を当てたらいいはずだとみんな思っているけど、もしかしたら、電気を消すっていうのも、いいかもねとか、上に向かって歩こうと思ってたけど、ちょっと下もいいかもねっていうふうに、ポーンとひっくり返すのが、結構得意だったりするわけですよ。

 だから、ある集団とか、グループの中で、そういう人が、偶然にもいてくれると、なんかこう、違う形でひっくり返されることによって、自分の思ってみなかった自分をつかまえることができたり、そういう要素としては、アーティストの存在っていうのは、やっぱり大きいんですよね。

 やっぱりそういう意味では、普通に考えると妙なことでも、何が面白いだろうとか、何が本当だろうとかっていうことを、ずーっと考えながら、そんな目で風景から何から見ていて、毎日の食事もしてるっていう人たちが(アーティストには)多いので。その辺はやっぱり、アーティスト、もしくはアーティストのような人がいると、別に彼らが神さまでも何でもないですよ、ただの普通の人間なんだけど、でも、やっぱりちょっとこう、普段の自分のままだったら気が付かなかった、別なポジションの自分っていうのにシフトさせてくれる可能性は高いよね。そんな感じだと思ってます。」

 

  学芸員になる人

 -中には、学芸員の方でも、自分が作品を作る側に、なりたくてもなれなかったような方もおられるんじゃないかなと思うんですけど。

 

 「当初、作家を目指してたという学芸員って、結構いると思いますよ。」

 

 -そういう場合に、例えば、作家さんの能力に嫉妬したりしないのかなとか。

 

 「逆に厳しくなるでしょう。例えば、ヤン・フートっていう人がいるんですけど、その人、美術をやっている人たちの間では、結構、有名なキュレーターなんです。つい最近亡くなっちゃったんですけど。

 日本でも、東京のワタリウム美術館、及びその周辺の街を使った展覧会とか、金沢に近いところでは、鶴来での展覧会とかをやったこともあるし、結構、カッセルのドクメンタっていう、ドイツでは、5年に一度行われている、すごく話題になる展覧会の、総合コミッショナーとかやったりして、有名な人間だったんですけど。

 彼が、特に一番有名なのは、シャンブル・ダミっていう展覧会、シャンブル・ダミって友達の家っていう意味なんですって。ベルギーでやった展覧会なんだけれども、いろんなアーティストの作品を、街の人たちの庭先とか玄関とかそういうところに置いてっちゃう。その駅に自転車置き場というか、レンタル自転車を用意して、マップ用意して、いろんな人の家を、お客さんというか観客の人は訪ねていって、家の人も、そのたびに玄関開けてあげなきゃいけないとか、庭に入れてあげなきゃいけないとか、っていうそういう展覧会をやったことがあって。

作品は、本来美術館だけにある物なのかとか、あるいは社会との関わりだとか、具体的なそれぞれの個々人との関わり方は、みたいなことに対する、いろんなテーマを投げ掛けたキュレーターだったんです。

 でね、かなりいろんなアーティストにハッパを掛けるのが、ものすごい得意な人。会話の仕方を見ていて面白いのは、青山の展覧会を作りに来てて、いろんな日本の若い作家たちが集まっていて、話をするときに、もうカウンターに足とか載せて、『わー!!』って。難しい哲学の話をするわけでも何でもなくて、もっともっと、アクティブ。

 すごい活気のあるキュレーターの人だったけど、彼は、もともとは、確かにアーティストを目指していた。だけれども、ドイツのアーティストでヨーゼフ・ボイスという人がいるんだけど、確かそのボイスと出会って、そのときにある種、才能の差に、愕然としたんでしょうね。彼なりに、ものすごいアーティストに出会っちゃったんだろうね。

 それ以来、自分では作家になるのをやめるんですよ。むしろそういう人間の応援団に回ってくのね。向き、不向きのこともあるかもしれない。もしかしたら、応援団に向くのにも関わらず、美術が好きで、錯覚してアーティストを目指すっていうパターンもあるかもしれないよね。

 僕も、もともと、応援のほうが得意だなっていうのはあったけどね。それは大学時代から。人が作品を作るのを手伝うの、すごく好きだった。最終判断者は、当然、自分の名前で作品を作る人間がやるけれど、だったら、こうしたほうがいいんじゃないの、ああしたほうがいいんじゃないのって、一緒にこう作っていくっていうような感じで、よく手伝いはしていました。なんかもともとがそうなのかもしれない。自分で作るというよりは。」

学芸員としての思い

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