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第5回 美術館は生き物?

 -シンポジウムのときに、美術館を赤ちゃんとか子どもとかっていうふうに、生き物としてとらえているところが、すごく面白かったのですが、美術館として、赤ちゃんの頃できなかったことが、もうちょっと3歳児とか、小学生くらいになったらできるっていうふうに、具体的に変わっていくものなんですか。

 

 「どちらかというと、人間のスピードよりは早かったりもするんだけども、最初は、やっぱり相当、親も面倒見ないといけない。親っていうのは、その場合には、美術館をつくった人。つまり、企業美術館であれば、その企業、行政の美術館なら行政。

 

 ただね、やっぱりそこは、お金もかかるし、手間も掛かるし、人手も掛かるし、っていうことをしてあげなきゃいけないけど、それができれば、その子が持っている可能性というのは、一遍に、ばーっといろいろ出始めるわけです。美術館の側とか、美術館を運営するサイドとか、美術館の中にいる側の人は、その親の庇護を受けながら、いろんな可能性を試さないといけない。

 まず、動き方が下手くそなんです。というのは、自分の体をどう使っていいか、よく分かっていない。名前をどう使っていいかも、分かっていない。組織をどう使っていいかも、分かってない。なおかつ、最初は友達も少ない。当たり前ですよね。運送屋さんとのやりとりも初めて、ここの美術館で何かやるのも初めてだから、友達でも何でもないじゃないですか。

 だからそういう所には、それこそ仲良くなってしまえば、電話1本で、パーンと事が進むのに、そうじゃないと事前に資料持って、あらかじめアポとって、説明しに行って、じゃあ、今度また来てくださいって言われて、それを何回も何回もやりながら、どうにか、そのたくさんのエネルギーを使うことで、同じことをする。同じことをするのに、要領が悪いんです。しかも空間の使い方自体、まだ慣れてなかったりするから、そうすると、なんか下手くそな展示をしてみたりとか、そういう意味で、まだまだよちよちなんですよ。

 でもそこで、諦めずにっていうか、もうそれで終わったんじゃなくて、最初は過剰でもいいから、人間も投資する、お金を入れる、仕事に時間かかっても、仕方ないんだから、それはそれでお金で解決するとか、時間で解決するとか、やっぱりいっぱい、手を掛けてあげなきゃいけない。

 やっぱりそうやって、いろいろと触手を伸ばして、いろんな人とお友達になったりしながら、今度は要領も良くなってくるし、空間の使い方も覚えていくし、お客さんの扱いにも慣れてくるし、っていうのがだんだん、成長していくことですよね。シンプルに分かりやすく言えば。そのいろんなことをやっていきながら、そのうち、本人も頭がいいのと、慣れてくるので、余計なことはしなくなって、どんどん、本来のあるべきものを狙いながら、スポットで仕事ができるようになってくる。

 いろんなことを実験して、試したほうがいいんです。できるだけいろんなことを。もしかしたら、自分がこういう大人になるのかも、ああいう大人になるのかもって、自分って1人じゃないから、せっかく美術館にいろんなスタッフがいるので、もっとこういうふうになったらいいじゃない、ああいうふうになったらいいじゃないを、実験でいいからどんどん試してみる。

 だから、美術館だからって、美術だけではなくて、コンサートもやってみるとか、演劇もやってみるとか、ロックもやってみるとか、光も扱ってみるとか、動物もやってみるとか、植物もやってみるとか、どんなことでも可能性だと思ったら、試してみればいい。

 で、それをやらないと、最初からこういうもんだろ、美術館はってやっていると、なんせ物事、狭まるほうが得意なんですよ。つまり、要領も良くなってくるということは、仕事も怠けて、同じことができちゃうなら、怠けたほうが楽ちんだからって怠けちゃうでしょ。

 そうすると、ますます、ただお手本通りのことはやっているけど、それ以上のものでも何でもなくなっていって、実に、こじんまりとまとまっちゃうから、とにかくもう、最初は、ばらんばらん、何やっているの、あそこはって思われてもいいから、もう出せる手は、全部出してみたら、できる挑戦は、全部してみたらいいと。それだけの体力あると。少なくともまだ若いから。新陳代謝は激しいし。ちょっとやそっとじゃ病気になんかなりゃせん。というのが、その子ども時代。

 でも本当の意味で、ある意味での社会性をきちんと持ってやれるようになるぐらいまでに6年くらいかかるんですよ。そもそも最初の6年間なんて、名前を覚えてもらうだけだって、そのくらいの時間かかりますもの。よほどの関係者でない限り、一つの美術館が出来上がって、なんかやってるねって気が付かれるのに、3年くらいかかったりする。前橋に美術館が一つできました。そんなことがある程度、美術館に興味がある日本中の人たちに伝わるまでに、やっぱり3年くらいかかるでしょう。

 じゃあ、一度実際行ってみようか、どういうものなのかな、どういう美術館なのかなって、ちゃんとアイデンティファイされるのに、さらに3年くらいかかるでしょう。近隣は、ともかくとしてね。そうすると、そういう社会性を持って、発言したり、人の意見を聞いたり、情報がやってきたりということが行われるようになるには、6年くらい、ようやくそこからは小学生。でもね、ほとんどの場合、小学生くらいで卒業させられちゃうんですよ。

 (金銭的な意味で)ゼロにはならないかもしれないけど、もうあとは、自分たちでやんなさい、毎年市が出せる、都が出せる、県が出せる予算はこのくらいって、もういいんだろうっていうふうになっちゃう。

 でも実は、じゃあ例えばルーブルとか、ヨーロッパでも古い美術館とか見てみたって、あれだけの歴史、どうやってやっていく、しかも社会はどんどん変わっていく。同じもののパターンでいけるわけがないんですよ。今つくった美術館は完成度があるねといって、全く同じ繰り返しで、あと50年過ごせるかといって、過ごせないと思うんです。

 例えば、コンピュータが入ったら、コンピュータを導入しなきゃいけなかったように、いろいろなことに対応していかなかったらいけないわけ。対応できるだけの感受性を持たなきゃいけないし、対応力とか柔軟性を持ってなきゃいけないし、っていうことであるならば、本当は、はい、もういいね、っていうわけにいかないはず。

 中にいる人たちも、去年もああやったから、今年もこれ、来年もそれ、っていうわけにはいかないはず。っていうことは、そこから先が初めて、いろんな手出しもしてみた、何々もしてみたの経験値を持って、それだけの体力を見に付けて、ようやく目指す方向性を見ながら、まあそれでも、小学校のうちなんかは、いろんなもの学んでみたり、だんだん中学校から先行くと、より専門的に自分の道はこうだっていうとこに迫りながら、活動していくんでしょうけど、やっぱりそれくらいの成長のスピードだよと思うわけです。

 でも人間だって、どんどん大人になって、年取ったなら年取ったなりの、生活の仕方とか、対応の仕方とか、仕事の内容に変えてかないと、いつまでたっても20歳のように働けない、30歳のようには働けない、そういうふうにも老齢化していくんだろうと思うんだけど。と考えていて、美術館が生き物に例えられるというのは、あながち嘘じゃないなとは思っています。

 もちろん、美術館の成長のスピードの解釈はいろいろなんですけど、もうちょっとこんなふうに生物に例えながら考えてみると、いろんなことが分かりやすくなるんです。」

美術館は来ない人も含めて、みんなでつくっている→

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