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第8回 イデアと幸福論

 黒沢さんがおっしゃる、作品は見た人が判断すればいい、というのはその通りである。でも一方で、美術館にある作品が、どんな程度のものでもいい、ではもちろん困ってしまうわけで、観客は、やはり芸術性の高いものに触れ合えるということを、期待しているからこそ、来るのではないだろうか、というようなことを伺ってみた。

 

  芸術性を評価する基準の大本

「芸術性が高いというのはどういうことなのかっていうことは、人によってさまざまだったりするわけです。芸術性が高いもの、例えば、美術の世界の中で、芸術性が高いものと言われているものって、どんなものがあるという前提で話をしていますか?」

 

 -やっぱり、『モナ・リザ』とか、ゴッホとか、ピカソとか、そういう。

 

 「そうですよね。芸術性の高さみたいなものを、歴史的にも約束してきたものというのは、分かりやすく歴史を振り返ってみると、ギリシャのプラトン哲学者という人の時代にギリシャ人が、イデアという一つの概念をつかまえるんです。イデアというのは、アイデアのイデアですけれども、要は、この世界とは別な、非常にイデアルな、つまりアイデアとして想念としての象徴的な、何か別の世界があって、そこには例えば『完全な美』、すごく美しいということがあり得る。それを鏡のように映してきて、われわれの世界にもそれを見出すことができる、あるいは、つくり出すことができるかもしれない・・・と。

 常にわれわれの世界にあるものは、そのような最高の美よりは、劣るものになると。でもその何か『美』というイデア、概念がない限りは、美というのをつくりようがないじゃないか、つまり永遠に美しい、美というものがあるとしたら、それは概念上の向こう側にあるはずだという考え方が、やっぱり芸術性という言葉の、大本の歴史に立ち会おうとすると、それを無視できなくなると思うんですよ。

 つまり、何にしても、『絶対的な何か』があるので、それを映してきているのが芸術性だというのが、芸術の世界として、一つの基準、評価の考え方。それでも評価はいろいろですよ、同じ絵を見ても、ダ・ヴィンチの絵を見ても、こんなのくだらないっていう人だっているかもしれない。でも、ダ・ヴィンチとなるとおおよそみんな評価しますけどね。」

 

  芸術は人を幸せにするのか

 「どっちにしても、そういう何か、そういうイデアルなものを目指しているのが、芸術なんだっていう考え方がありますよね。でもね、やっぱり、本当に考え直さなければいけないことは、美術館も、なんですけれども、そういう芸術というものが、芸術性の高いものが、人を幸せにするかどうかです。そこにまだ、答えが出ていないんだと思うんです。

 もし、芸術性の高い作品というものに触れることで、人間が幸せになれるのであれば、いいでしょうね。でも、どうもそうじゃないかもしれない。『モナ・リザ』なんて、1日にあんなに何千人も何万人もの人が見ているんだから、そしたら世界中の人がどんどん、どんどん、幸せになっていかなきゃいけない。ところが、芸術性が高いからといって、それが必ずしも実現できていないわけですよね。一時的にいいかもしれないけれど、じゃあ本当に、その人の人生が良くなるのかっていうとちょっと謎ですよね。この辺は、ちゃんと考え直した方がいいんじゃないかな。」

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