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第1回目

​ボランティアを始めたきっかけ

最初は医療ボランティアだった

 

-ボランティアはなぜ始められたんですか。

「40過ぎくらいになったときに、自分の子どもも育って、天国行けるように、ちょっといいことしようみたいに思って(笑)。

 で、フィリピンの医療ボランティアがあるのよね。いわゆる山岳僻地とか、アーバンスラムの所に行って、そこでマラリアの検査とかがあって、でも私は看護婦じゃないから、検査に来た子に年齢とか、いろいろカルテに書くのを手伝ったりとか、そういうサポートをしに付いて行ったのが、始まりです。」

-そのボランティアは、どういうきっかけで行かれたんですか。

 「たまたま私の友達が、そこにボランティアで行っている医科大生と飲み屋で出会って、『僕たちこういうことしてるよ』みたいになって、それでその友達が先にフィリピンに行ってきたの。その人が、ボランティアから帰ってきて、何かしてあげたいって、相談を受けたのよ。

 そのときって、ちょうど私たちが、絵の仲間で、グループ展をするときだったのね。でもね、みんな人生の時間を費やして見に来てくれるのに、ちょっと引っ掛かっちゃったの、なんかもうちょっと役に立ちたいなって。

 私の作品はシルクスクリーンっていって、一種の版画だから、ポストカードみたいなのは、割りに量産できるので、展覧会に自分たちの手作りを置いて、それの売り上げをどっかに寄付しようかなみたいなことを、ふわっと思ってたときだった。

 そんなときたまたま、フィリピンに先に行った人から電話がかかってきて、『私も今、そういうことを考えてたし』って、他のメンバーの人にも相談してすんなり決まって、展覧会でポストカードを売って、その売り上げを持って、今度はみんなで一緒にフィリピンに行ったの。そしたら、私も一生懸命やるんだけど、それ以上に、精神的とか、いろんな意味で、自分にとってもらうものが、すごく多かった。

 こんだけしか持って行かなかったのに、こんなにもらって悪いから、また一生懸命しなくちゃいけないなみたいな気持ちになって。でも、私は医療関係じゃないし、いずれ、だんだんと、自分の本当のことを発揮できるほうに、にじり寄って行きたいなって。

 いずれは、自分の得意な方面のことで何かボランティアをと、ふわっと思ってたら、私、毎年上野でやる女流画家協会展って展覧会に出展をするんだけど、その中の画家に、上条陽子さんっていう方がいて、彼女は画家の中でも偉い人で、何となくは知ってたんだけど、たまたま彼女と話す機会がめぐってきて、話をして、ハートアートプロジェクトのことを知って、『じゃあ、次、私行くわ』って。」

創作の原点に触れる

 寺尾さんにインタビューをお願いしたのは、つながったご縁を生かしたかった、ということがありますが、もう一つ、理由としてあるのは、そのお話から、パレスチナについて語るときに、どうしても漂ってしまう、ある種の悲壮感のようなものが、あまり感じられなかったからなのかもしれない、と思います。

 寺尾さんは、何だか、るんるんという楽しい感じで、現地に行かれ、そして、ボランティア以外の自分の人生も同じように大切にされています。私は、そんな自分の感覚もきちんと大切にされているところに、きっと惹かれたのだと思います。
 
 きっと寺尾さんの視点から見たパレスチナは、メディアなどで報道されているものとは、違ったものになるのではないかと感じたのでした。

 「私、割りに軽いから、取りあえず、行きたかったのね。自分のできることで何かをしたかった。たまたまそこでぶち当たったとこが、最初は医療方面だったけど、次にぶち当たったとこが、たまたまパレスチナのほうだった。なんか違うとこにぶち当たったら、違うとこでやってたかもしれない。私は、絶対にパレスチナ難民の所へっていうんじゃないんです。」

 「私、観光旅行も好きですよ。リゾートでリラックスして、海を眺めてワイン飲んで、みたいのも好きですよ。でも、パレスチナはパレスチナで、ボロを着て、わーってほこりだらけになりながら、ぎゅうぎゅうの車で、旅芸人のドサ回りみたいに、この辺(頭の周り)にいっぱいいろんなものが乗っかって、暑い暑いで、クーラーもないような車で、生きるか死ぬかみたいな感じで行く。

 だけど、そこの子どもたちとか、そこの人たちに会ったりとかっていうことは、私にとって、それだけの意味、価値があるのね。上条さんもいつも帰りには、『ああ、また元気が出たわ、また来なくっちゃ』ってね、リフレッシュというか、また違う脳の所が刺激されて、それはやっぱりお金で買えない経験だし。」

 「パレスチナの子どもたちの作品を見ても、気持ちがすごく伝わってくるでしょ、喜んで描いてるっていうのが。やっぱりその子たちの本当に生き生きした、本当に一生懸命な様子を見ると、創作の原点を見るみたいでね。こういう気持ちでこっちもやらないといけないなって。」

上条陽子さんとの出会い

 「上条さんっていうのは、すごくメジャーではないけど、関係者だったら、知っている人なのね。今はもうなくなっちゃったんだけど、日本の画壇に安井賞っていうのがあったのね。一番権威のある、日本でもそれ取ったら、かなりの実力者みたいな、伝統的なコンクールの賞で、それは具象画の登竜門だったの。もう、そんじょそこらじゃ取れない賞です。

 彼女は半世紀くらい前にそれを若くして、女性で初めて取ったの。でも彼女の人生って、それ取って、すごくうれしいっていうんじゃなくって、今の時代と違うから、女が取るもんじゃないとかね、昔は芸大でも女の人は入れなかったのよね、東京芸大でも、戦後から入れるようになって、そういう歴史があるから、彼女がいつも言うのが、『男のヤキモチって、女のヤキモチの比じゃないわよ』って。結構、意地悪や、やっかみがあったらしいんだけど。

 彼女は、今は、抽象画を描いているんだけど、油絵も紙に絵の具でも描くし、紙を使ってイスラエルをテーマにしたインスタレーションをしたりしてますよ。」

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