第2回目
ハートアートプロジェクト
ハートアートプロジェクトについて
「このプロジェクトがなぜ始まったかっていうと、15年くらい前に、上条さんがレバノンで日本人のアーティスト10人くらいで展覧会をしたのね。そのときに難民キャンプの人が来て、『子どもたちに、そういうのを教えに来てくれないか』って言われたんです。
上条さんは、『行くのも大変だから、日本に帰ったら、絵の具とか紙とか送ります』ってそのときは言ったんだけど、やっぱり紙と絵の具だけ送ってもっていうんで、行くようになったの。」
このようにして上条陽子さんを代表として、2000年に始まったハートアートプロジェクトは、現在、16年目を迎えています。10周年を迎えた2010年には、それを記念してレバノンのバーレーンにあるユネスコ会館で、子どもたちの絵が集められた展覧会が開かれました。
展覧会での展示の様子
パレスチナの人たちからのメッセージ
来場者たち
ハートアートプロジェクトはパレスチナだけでなく、要望があればいろいろな所で活動を行ない、日本国内各地で、パレスチナのワークショップから持ち帰った子どもたちの作品の展示なども行っています。内戦のあったスリランカや、被災地の福島でも活動をしていて、2013年にガザに行ったときは、「福島とガザとは海でつながっているし、被災地の子どもたちを励ます絵も描こう」というような取り組みも行なったそうです。
寺尾さんがパレスチナ難民キャンプの子どもたちへのボランティアのプロジェクトに初めて参加したのは、2008年のことでした。それ以降、寺尾さんは5回にわたって、バーレーン国内にある、難民キャンプ数カ所へ訪れています。
また2013年には、イスラエル国内にあるガザ地区にも訪問されましたが、その後2014年の1月にガザ地区への攻撃があり、寺尾さんがボランティア中に滞在していた付近も、ひどく破壊されました。それ以降、ここ3年、レバノンにもガザへも、渡航の許可が下りないため、ボランティアに行けない状況が続いています。
-ちなみに渡航費とか、諸経費というのはどうしているんでしょうか。
「パレスチナに行くときは、旅費と食料と宿泊費は個人持ち。そのときのレートによっても違うけど、全部合わせると、15万から20万かな。あとの画材とかそういうのは、企業、いろいろ画材の会社とかから出るので、そこは出さないんだけど。みんなに、『そんなにしてまで』みたいに言われるけどね。」
このハートアートプロジェクトには、いろいろな人がいろいろな立場で関わっています。2010年に作られたハートアートプロジェクト10周年記念のカタログを見てみると、アーティスト、大学教授、退職者などに加え、学生もたくさんボランティアスタッフとして加わっており、中には、このプロジェクトに出会ったことで、人生が変わったというか、大きく開けていった人もいるようです。
「(ハートアートプロジェクト10周年のカタログを見ながら)
この子はカメラマンなの。来たときは、卒業前の学生だったんだけど、たまたま、東京で上条さんの個展に行ったのよね、それで上条さんと話をして、なんかそういう社会的なことに興味があって、『僕も行きたい』って言って、来たんだけど、それがご縁で、パレスチナの人たちとコンタクトできるようになって。
それから、今、社会人になって、結構そこのドキュメントとかを撮る、そういう報道カメラマンになっているの。運良かったよね。行ったご縁がなかったら、そこには行けなかったわけだから、不思議だね。なんかいつも思う。出会いって不思議だなって。」
ハートアートプロジェクトの皆さん
前列右から3番目が寺尾さん。その左隣が上条さん。
いよいよ次回から、寺尾さんがレバノンの難民キャンプに行かれた様子をお伝えする、レバノン編が始まります。お楽しみに!