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第11回目各国の子どもたち②

​日本の子どもたち・中国の子どもたち

パレスチナの子どもたちと日本の子どもたちの違い

-ワークショップって一回何時間くらいやるんですか。

 

 「子どもだから大体いつも、1時間くらいやって、お片付けして、また次のことをやって、大体、午前中2時間で、一度に絵画と工作の2種類。それで休んで、また午後に違う子たちが2種類をやる。日本の子にしたら、すごい強硬なのよね。それでも一生懸命やる。」

-考えてみたら普通は、絵だけとか、1回に一つですよね。

 「私の生徒でも、子どもが来ても、1日に1種類で、それでも『もうちょっと頑張ろうよ』とか、『もうちょっと頑張ったら、もっとすてきになるよ』とか励ましながらやるんだけど、例えば1回お休みすると、時々、お母さんが、『先週休んだから、今回、2回分やってください』って言うのよ。でも、中学生くらいになればまた別だけど、子どもの場合、もう、一つは一生懸命やっても、一つはぞんざいになっちゃうのよ。そうなると意味ないのよね。でもこの子たちは、普段そういうものがないから、いくらでも与えたら喜んでやることに、まずびっくりした。」

-絵を見ていると、みんないろいろな色や形のお花、花瓶もいろいろなんですけど、実際は、同じお花、花瓶を、ああやってみんな違うふうに描いているっていうことなんですか。

 

 「そう。花びらもいろいろあったり、そういう花ないよ、みたいなのがあったりね。それを例えば、私が日本の教室でやると、全員ではないけど、中には、『僕、描いたことないからそれ描けない』って言う子がいる。『じゃあ、いつ描くの?』って。例えば、『乗り物描いてみよう、今日は、自分の考えたのでもいいよ』とか言っても、『描いたことないし』とか、失敗をすごく嫌がるのね。私、長いこと、40年近く教室をやってるけど、昔は日本の子も、かなりあっちの子に近くて、わーっと描いて、失敗とかないのよね、もう、線がこんなになってようがね。

 

 でも今の子は、ちょっと手が滑ったら、『ここ失敗したから嫌』。『別に工夫したら?』って言うんだけど、それが通用する子と、かたくなになる子がいる。だから『じゃあもう一枚だけよ』って言うんだけど、向こうの子は、そんなどころじゃないのよね、そういう機会がもともと少ないから、もう、わーって、夢中になってやって。

 なんか人間って、何かしらで表現したいんだろうね。それも、別に絵だけじゃなくって、文章を書いて表現したりとか、踊ったりとか、いろいろ経験してみて、自分の好きな表現手段を『僕はこれが好き』って見つけるんだろうけどね。

 日本はいつでも、すごくいろんな色が使えて、いろいろな色の紙があって、学校に行っても絵を描けって言われたりするけど、向こうの子たちは、そういう機会に飢えているっていうことなんだろうなと思った。」

中国の子たち

 「この間、上条さんが、ドローイングの展覧会を、中国の無錫(むしゃく)の美術館でやってて。無錫っていう所は、ちょっと地方にある、ニューヨークみたいな高層ビルがある街で。

 

 そのときに、そこの美術館で『何かしてください』って言われたんで、『じゃあワークショップします』って言って、そこで子どもたちに、おうち描こうとか、動物描こうとかではなくって、抽象画の、気持ちの絵を描くワークショップをしたんだけど、ネットで募集をしたら、結構、好評でいっぱい来てくれて、ただそれは、普段パレスチナの子たちみたいに、そういう機会がないとか、そういうんじゃないのね。無料なんだけど、みんなきれいなお洋服着て、結構、富裕層の子たちだった。

 それで、ママたちが一緒に来てて、見てるとママたちが、すごい子どもに干渉するのね。だから親はあっち側で、子どもはこっち側にしようってやったんだけど、それでも、わーわー来て、こっちも圧倒されながら、『ママたち、なるべくこっちにいてください』みたいな感じで(笑)。」

 今年の夏に、金沢湯涌創作の森で行われた、『パレスチナのハートアートプロジェクト展』を偶然、見させていただいたときに、ふっと感じたのが、この子たちは、普段そんなにも表現する機会を与えられていないのに、なぜすっと筆を取り、こんなふうに自由にのびのびと描けるんだろうということでした。同じ環境に自分がいたとしたら、何を描けばいいか分からないという状態になるんじゃないだろうかと思ったのです。

 でも、今回、寺尾さんにお話を伺っていて、子どもたちは、表現自体が抑圧されているのではなく、表現する機会を与えられていない、具体的に言うと、必要な画材やスペースを与えられていない、また、こういう表現があるということを教えてもらったり、その表現力を磨いたりする機会を与えられていない、ということなのだと分かりました。子どもたちの絵に、抑圧されているような印象があまり感じられないのは、そういうことかと合点がいったのです。

 その外側の環境にも関わらず、パレスチナの子どもたちが、こんなに強い生命力や表現しようとする力を内側から放っているということ。これは、すごい希望だなあと思います。

 インタビューの中には、日本や中国の子どもたちの様子も出てきました。伺っていて、なぜかパレスチナの子たちのほうが、のびのびしているような印象も受けてしまい、あれ? パレスチナよりも環境的に恵まれているはずの日本や中国の子どもたち、大丈夫?と感じてしまったのでした。もちろん、そんなふうに簡単にひとくくりにすることのできない話ではありますが・・・。

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