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第10回目各国の子どもたち①

​パレスチナの子どもたち

パレスチナの子どもたち

 

 「難民キャンプでは、ろうの割合がすごく多いの。結局、みんなこの中で結婚するわけだから、血が濃くなっちゃうんじゃないかな。ガザで行ったろう学校は、パレスチナ子どものキャンペーンの援助でできた所なのね。きれいな建物。そこの先生たちは、すごく子どもたちが幸せを感じるようにっていう気持ちで指導している。少し大きくなると、その中で行きていくための方法として、料理とか、工芸品とか、刺繍とか、身を立てられるような、そういう訓練をするのね。」

ガザ ろう学校の子ども

-パレスチナの子どもたちって明るいんですか。

 「普段、明るいよ。生命力あるね。だから日本に帰ってくると、逆に、一瞬、え?ってなる。子どもたち、フィリピンの医療ボランティアに行ってたときもそうなんだけどね、みんなもう、元気。転んでも何しても、ぎゃーぎゃー騒いでいるから。『手切っちゃった』、『どこ切ったの?!』みたいな感じ、ばんそうこう貼ってあげるんだけどね、そんなの構わず騒いでいるから、『どこ?!』みたいな感じで。

 根は分かんないけどね。ずっと重荷はしょっていると思うのよね、ガザはそこからなかなか出れないけども、レバノンの難民キャンプの子たちは、自分たちも外にも出られるからね、監獄じゃないから、行き来は自由なのよね。街には行ける、でも仕事はないみたいな感じだから、ある年齢になって深く考えたら、何でなんだろうって思うかもしれないけどね。ワークショップでは、こんなことやれると思って、わーって来ているから、それで喜んで帰っていくみたいな感じだけど。」

 「人が言った表現がぴったりだなって思ったのは、『こっちの子って、顔が子どものうちから出来上がってるよね』って。1人ずつ、ワークショップの参加者の写真を撮るんだけど、ワークショップしながら、みんな順番に撮っていくじゃない? そうすると女の子たち、こう(おすましポーズ)。こんな感じで、子どもが撮られるような感じじゃないのよね。」

-もう既に、撮られ方を知っている。子どもの頃からもう女性なんですね。

 「もう、こういうお目めでね、いわゆるアラブ系の美人ちゃんがたくさん。違うタイプの子もいるんだけどね、かわいらしいでしょう、みんな。」

​レバノン難民キャンプの美人ちゃんたち

パレスチナの子どもたちと日本の子どもたちの違い

 「で、フルーツなんか描いていると、最後みんな食べちゃうのね、やってるとき。やってる途中、だんだんなくなっちゃうのよね。食べちゃうの、終わり頃は、もう何にもない。

 

 私の教室でも描くんだけど、日本の子は勝手には食べないからね。でも日本の子は、何か言うのよね、『食べたい』とか。うちの教室は、生徒がみんな一遍に来ないから、後の子だけ食べさせたっていうのも不公平になるから、『明日の子がまた使うからね、だから取っといて』って言って、私、うちに持って帰って食べちゃうんだけど(笑)、でも、別にちょっと言ってみた、食べれるんだったらラッキーかなくらいの、ちょっと私をからかってみたくらいのノリだから、目見張って、『食べるなー!』とかやらなくてもいいんだけど。」

-向こうの子は、普段フルーツとか食べてないから食べちゃうってことでしょうか?

 「食べてないこともないだろうけど、ある種の国民性もあると思う。」

-果物を描くなんて発想がそもそもない?

 「ないから、テーブルに載っているのに、何で食べちゃいけないの? みたいのもあるだろうね。喉も渇くしね。だから(笑)

-描いている果物を食べちゃったのって、この子たちなんですか?

 「この子たち。いい子そうな顔しているけど、油断も隙もない(笑)。」

ガザ ろう学校の子どもたち

レバノン難民キャンプの子どもたち

-写真を見ていると、みんな集中して、熱心に描いている感じがありますね。

 「こういう大きい画用紙で思う存分っていうのは、普段やれないから。だから私の生徒なんかよりも、全然、一生懸命やるよ。もう喜びが違う。日本だと、『きょう何やるの?』、『何だあ、絵か、工作がいいな』、『絵も描こう? 来週、工作するからね』みたいな感じだけどね。」

-描いている様子を見ていると、やっぱりみんな、「わー、うれしいな」って感じが伝わってきます。

 「そう、普段、表現することをやっていないから飢えているのね。この子たちにしてみたら、絵を描く、工作をするなんて、考えてもみなかったのかもしれないけど、ああ、こういうことがあるんだみたいな感じでやるから、人のことはあんまり気にならないのね。恥ずかしいとかもないし、同じ花瓶一個でも、描くとそれぞれにいろんな花瓶になったりね。」

-普段、自分が表現を許されてない所にいたとしたら、一瞬、どうやって表現したらいいか、分からなくなってしまうような気がするんですけど、そうではない。

 「この子たちは、表現しちゃいけないっていうんじゃなくて、する機会とか物がないのね。言論とか、表現の自由がないとかいうのとは、違う。」

-材料がないっていうことなんですね。

 「そういう機会とかも与えられないとか、表現したら殺されるとか、そういうもんじゃなくって。」

-ああ、だからなんですね。

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