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第15回目

正しいことは一つだけではない

ものを深く見る目を養う

 「あと、デッサンとか、観察画は、物を深く見る。子どもたちにもパイナップルとか、魚とか、実際にじっくり見させて描くっていうのをやるんだけど、いろんな意味で観察力って大事よね。例えば、人と会っても観察力がないと。外見の観察だけじゃなくて、もっと深い部分の観察力ね。だからイスラエルでも、このタクシーの運転手さんは大丈夫だろうと思うのよね(笑)。私、何でもはついていかないよ、これはちょっと怪しいなって思ったら、『いいです』って言うから。」

 

「例えば、このシャープペン。ただ、書ければいいと思っている場合もあるよね。あと見てても、ここはこういう意味でとんがっているんだとかって、分かろうとすれば分かるけども、描くとなると、もっと深く見るのよね。

 この間ね、たまたま私の知っている人が、テレビに出てきたのよ。その人は、例えば金沢城とか、図面を見て、素材とか質感を出してったりして、立体感がある図に描き起こす技術を持っている人ね。テレビでは、その人が医科大で絵を教えだしたって紹介してたの。

 例えば、内蔵をレントゲンとかMRIで撮って見て、あそこが悪いっていうのもいいけど、その授業では、実際に自分で内臓を描いてみるんだって。描くためには、すごくよく見ないと駄目でしょう、その観察力を磨くっていうのは、医療をする上でも大切なんじゃないかっていうことで、教えに行っているんだけどね。」

-確かに画像だけで勉強しているより、図に描いたら、その臓器のことをよく分かるようになるでしょうね。

 「今の時代だから、わーっと機械でできるけども、やっぱり観察力があると、そこの中の何かしらのちょっとの違いとかいうのを、見分けられるようになるっていうのよね。

 私、それがすごくよく分かる。そうだろうなって思うのね。絵でもデッサンさせるときに、例えばコップを見る。白いコップなのよ。確かに白いんだけど、よく見ると、場所によってすごく違うのよね、明るさが。

 明るさが違って、(目の前にあるコップのある部分を指しながら)例えば、こういう所は、結構暗いんだけど、最初、暗くできないのよね。白いコップだと思うから。そうすると絵が平面的になるのね。それを見てて、『騙されたと思って、ここをこのくらい暗く描いてみてね』って、やってもらった絵を見ると、お、三次元になったみたいな。

 きっと見慣れてくると、こういう違いとかがすごく分かるんだけど、ぽーっと見てたら、白いコップだし、(目の前のコップを指しながら)ここの色の差とかね、こっちから濁って、この辺は光っててとか、見えてくるんだと思う。だんだん。

 私が見えるのは、きっと、そんなことやってたからね。例えば、ビル見ても、ねずみ色のビルなんだけども、こう光が当たってたりね、違うわけ、こっちの色とこっちの色の明るさが。という観察力っていうのは、いろんな意味で違ってくる気がするよ、それができなくたって、生きてはいけるんだろうけどね。」

-他の問題を考えるときでも、その洞察力みたいなものがあれば、とらえ方がやっぱり違ってくるでしょうね。

 「多面的に見れたりとかね。」

-人間形成というか、そういう訓練になっているんですね。

正しいことは一つだけではない

 「これは偏った考えかもしれないんだけど、ある美術の関係者が、日本は荒れている。いじめっていうのは、結局、教育の中で、何か一つが正しい、1足す1は、2が正しい、他はありません、みたいなことがいっぱいあり過ぎるのが、原因じゃないかって。それぞれが、いろんなことが正しいっていうのをやっているのが、芸術教育なのよね。

 でも今は、芸術教育がだんだん、削られてる。私たちの子どもの頃は週2時間あったのが、今は1時間半なのね。まあ英語もやらなくちゃいけない、あれもやらなくちゃいけない、っていうのもあるから、削るしかないんだけど。

 そういうことが直接の原因ではないかもしれないけど、そういうこともあって、他者が違うということを認められなくなったり、いろんなことがこれもいいし、あなたの描いたのもすてきだし、この人が描いたのも、っていうのがなくなってきているからっていうのもあるだろうって。

 アメリカがこれまで芸術教育をちょっとないがしろにしてたんだけど、そういうことに気が付いて、前より熱心にしたら、効果も出てきているらしい。日本もすぐアメリカの真似するから、アメリカで成果が出たら、日本もそうなるかもねって。

 それは美術教師の人が書いているから、半分話がその人寄りになっているのかもしれないけども、でも、全てが間違ってはないんじゃないかなと思う。」

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