第7回目ガザ編①
ガザへ入るのは大変だった
ガザについて、メディアを検索して出てくる情報は、歴史的、政治的背景や、受けた攻撃による被害に関することが多く、実際にそこで暮らす人々の日常に根付いた情報は、あまりないように思います。(訪れることのできる人が少ないのだからそれは当然かもしれませんが)。
ガザって一体どんなところで、人はそこでどんなふうに暮らしているのでしょうか。また訪れる人は、どういう手続きをして訪問し、どのように過ごすのでしょうか。寺尾さんが、2013年に、一度だけガザを訪れた、そのときの体験を伺ってみました。
ガザは長さ50km、幅5~8kmの狭く細長い地形。
種子島ほどの面積に150万人の人が住む、世界で最も人口密度が高い場所の一つ。
人口の約45%は14歳以下の子どもであり、7割は難民となった人々である。
(「パレスチナ子どものキャンペーン」サイトより引用)
寺尾さん、ガザ地区へ
ガザ地区は、イスラエル国内の中にあります。というか、もともとパレスチナという国があった場所に、いろいろな歴史的、政治的背景があって、イスラエルが入植した結果、イスラエルと呼ばれている国ができました(アラブ諸国はそのことを認めてはいませんが)。
ガザ地区はそのイスラエルの中に点在している自治区の一つであり、自治区の中でも、最も大きい面積を持っています。ガザへ入るには、まずイスラエルに入国する必要があります。
イスラエルへの入国
「イスラエルは、アラブ諸国に認められてないから、イスラエルに入国するときにパスポートにスタンプ押されると、他のアラブ諸国には行けないのね、もちろんレバノンにも入れなくなるし。まあそれはそれでしようがないと思ってたんだけど、イスラエルのパスポートコントロールの所に行ったら、不思議なことに『ハンコ押しますか、押しませんか』って聞かれるのね。『ああ、できたら押さないほうがいいです』って。」
-イスラエルに入国するときは、目的としてガザでボランティアにっていうことは言わないわけですか。
「サイトシーイング(観光)よ。」
-イスラエルの観光ということで入っている。
「あそこは、巡礼がいっぱい来ているからね、観光客がいっぱい来てるのよ。キリスト教の巡礼に来てたりとか。」
-ガザにボランティアにって言ったら、入国できない。
「絶対できないと思うよ。手続きしてくれたスタッフさんたちにも言わないでくれって言われたから。レバノンに行くときもそうよ。でもいろんな道具も持っていくから、子どもたちに教えに来たとは言うけども、難民キャンプに行くなんて言わない。絶対言っちゃいけないから。言ったらとばっちり受けるか、帰されるか分かんないけど。だから言わない。」
ガザへ
「パスポートにハンコ押されなかった、ラッキーみたいな感じで、エルサレムのホテルでいろいろ準備したり、イスラエルに2、3日いて、それから車でガザの入り口まで来るわけ。で、ガザに入るときは、またここが国境なのよ。むしろ国境どころじゃない。入るのにいろいろ大変で、銃を持った人もいるし、炎天下の中、入り口の所で、しばらく小1時間くらい、待ってたかな。
ガザには、パレスチナ子どものキャンペーンっていう日本のNGOがあって、私たちがボランティアするために必要な申請も、ここが協力をしてくれていて、いろいろと間を取り持ってくれてるの。そこは農業指導したりとか、いろんなパレスチナの難民に対する取り組みをやっている所です。
ガザには、その子どものキャンペーンの人が、迎えに来てくれて入るんだけど、また今度そこで、『スタンプを押すか押さないか』、『押さないほうがいい』っていうようなやりとりがあって、入ったら、ゴルフ場のカートみたいのに乗っていって、そこでまたちょっと待ったら、バゲッジの隅から隅までチェックされて、絶対お酒とか持ち込まないでくださいね、みたいなチェックがあって、中へ入って、ホテルまではタクシーで行くわけね。
ここ(検問所)は、車しか通れない。国連のスタッフは、車の免許は必ず持っているの。そんな感じで、ガザには入るのも大変で。中に入っても、ガザにいる間は、常に、一緒に付いてくれている子どものキャンペーンのスタッフさんが、必ず日本大使館に連絡を入れていた。例えば、『寺尾ユリ子さんと上条陽子さんはここに来ました』、『またここに移動しました』、『ガザ出ました』とか。
ガザでは、大学生くらいの年かな、現地のガザの人が、コーディネーターみたいにいろいろ世話をしてくれて。私たちも何も分からないから、いろいろな手配とか全部スタッフの人がやってくれて。ガザの中にいる間は、朝必ずホテルに迎えに来て、いろいろ1日のことが済んで、ホテルに帰ると、『絶対ホテルから出ないでくださいね』って言われて。一応平和なときだけだったけど、勝手に出て、いつ何があるか、保証がないわけよね。ガザってそういう所でした。」
-ガザではどこに行かれたんですか。
ろう学校と、ガザにあるコミュニティーセンターに。
-ガザに滞在したのは、何日間くらいでしたか。
1週間くらい。
-そのときガザに行けるようになるまで、どのくらいの交渉の時間がかかったんですか。
「どれくらいだろうね、3カ月くらいはかかってる。そのときは情勢も情勢だし、若い子は連れていけないから、結局、上条さんと私が行くことになって。上条さんは、私よりも10歳ちょっと上なのよ。(当時、寺尾さんは65歳。)おばあさん2人だと、逆に許可が下りやすいっていうか。まあ、いいことしにいくわけだしね。」