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第8回目ガザ編②

​ガザの人たちの暮らしぶり

現地の様子

 

-ホテルっていうのは、ガザにあるんですか。

 

 「ガザにいるときは、ガザのホテルに泊まってました。」

-難民キャンプに、ホテルがあるっていうのが、全然イメージが湧かなくて・・・。

 「ガザはね、キャンプっていうより、都市っていうか、ガザは大きい鳥かごみたいになって大きく閉じ込められちゃった所で、パレスチナの人しかいないの。(ガザ自治区の中に8くらいのキャンプが点在している)で、出れない。入るのも大変だし。

 ホテルには、ほとんど私たちしか泊まってなかった。一回、1人、ジャーナリストみたいな欧米人がちょっとだけ一緒になったけど。」

-結局、そういうジャーナリストとか、ボランティアで来る人くらいしか泊まらないですよね。

 「入れないものね。観光地なんて行けないしね。」

-ホテルとかコミュニティーセンターってお伺いして思ったのが、ガザでは、ある程度の生活のインフラみたいなものが、そこそこ整っているのかなって。

 「そうね。ただ、お水がだいぶなくなってきている(→ガザ地区では過剰取水による水位低下で、塩水化が進んでいる)とか、石油の供給が安定しないから、交通とか物流の手段としては、ロバのほうが良かったりっていうのはあるみだいたけど。」

-ガザにいても、そこここでロバが移動しているのが見られるとか、そんな感じですか。

 「うん。もちろん車もある。UN(国連)の車も多かった。UNの車をあんなにあっちこっちで見たのって初めて。あんなにいっぱいいるんだって思った。」

-ガザ内にいるパレスチナの人たちは一切、通常の手段では、ガザから出られないわけですよね。ということは、経済活動は、この中でできる人は、しているという。

 「できる人はね。私たちを迎えてくれる子どものキャンペーンの人は、少しでもそこの人たちの生活が良くなるように、ガザで農業を教えているの。例えば、いちごとか作っても、ガザの中だけで食べたって大したことないから、ここから出さなくちゃいけない。でも、ここ(ガザの検問所)に何日も置いとかれて、腐っちゃったりとか、すごい意地悪されるって言ってた。オリーブとかも植えたら、(イスラエル側の人に)根こそぎ、トラクターでがーっとされたりとかね。」

 

-農業以外に何か、少し働けるみたいなことってあるんでしょうか。大人の働く年齢層の人は、昼間何をしているんだろうなって。

 「そうね、私たちも様子は見てるんだけど、車に乗って教えに行って、また車に乗って帰ってくるって感じで、お店くらいしか分かんなかったね、果物とかをいっぱい積んでロバに引かせて売ってたりとか、あと、ちょっとした簡単なお店もあるし、だからフルーツを次の日写生させようかっていうときは、そういうとこでフルーツを買って持ってったりとかするけどね。

 あと、レストランで働いている人もいる。私たちも食べにレストランみたいな所に、ご飯を食べに行ったりとか、ホテルのレストランで食べたりとかしたけど。」

-他の難民キャンプのように、狭いから建物をどんどん積み上げていってるっていうのは、ガザでも一緒なんですか。

 「ガザはね、またレバノンの難民キャンプとかに比べたら、広々としているんだよね。ホテルも2階建てだったしね。多分、泊まっているホテルから教えに行くコミュニティーセンターまでは、結構、車で30分くらいは、海沿いみたいな所を走ったかなと思う。」

 「ガザの人たちは、外に勉強に、例えばイギリスに勉強に行きたいとなって、イギリスのほうで許可を出しても、イスラエル政府が駄目っていったら、もう出れないんだって。結構、意地悪するわけよね。ガザはだから、レバノンの難民キャンプにいるのと、また違うのね。」

 

 「また、ろうの人がすごく多いのね、それは、やっぱりここだけの中で、結婚して、子ども作ってだから、普通の、例えば全世界の平均で100人に何人いるとか、それよりも、全然多いんだって。そこは、子どもたちはそういうお勉強をして、少し大きくなったら、料理とか、伝統工芸とか、しゃべらなくてもできる、生きていく上で、身に付けられるものを勉強する。そういう人たちでやっているレストランにも行ったけど、レストランで働いている人は、ろうの人も多いみたいね。」

 「私たちが帰ってからすぐ爆撃があったのよね。私たちが13年の9月に行って、半年もしない、14年のお正月過ぎに、すごい爆撃があったの。だから、私たちが会った子たちとか、ガザで通訳してくれた現地のお嬢さんとか、みんなどうしてるのかなとか、今でも思ったりするんだけど。」

 その2014年の軍事侵攻では、激しい攻撃が、空、陸から51日間にわたって行われ、死者2,251人(うち70%が女性や子どもを含む民間人)、負傷者約11,000人、全壊・半壊家屋18,000戸という大きな被害がもたらされたといいます。

 破壊された町の復興は遅々として進んでおらず、人々は、いつまた繰り返されるかわからない戦争の恐怖を抱えながら生活しています。(パレスチナ子どものキャンペーンサイトより)。

 私は現地に行って、実際に関わったわけではありませんが、子どもたちや、スタッフさんたちの写真を見ながらお話を伺い、今回の記事のために一人一人の画像編集をしたりしているうちに、何だかすっかり、その子たち、その人たちを、もうどこか個人的に知っていたような気になってしまっていました。

 その後に、この具体的な被害の内容に触れてみて、元気な絵を描いていたあの子たちが、そしてそれをサポートしていたあの人たちが、亡くなったり、あるいは怪我をされたのかもしれないんだなと思ったとき、ただニュースで数字としてその被害を聞くときには、感じることのない気持ちが、じわじわと込み上げてきました。

ガザのろう学校の子どもたち

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